気がつき、グルーミングが出来ないためか、次第に毛並みも悪くなっていきました。そのうち毛並みが悪いだけではなく、
足の毛が抜けて皮膚が露出する面積が増えていくので、これは何か大きな病気を抱えているようだなぁ、と感じるようになりました。
3月に入ると、さらに状態が悪くなっているようでしたが、それでも食欲はあって、一定量食べ続け、厳しい冬も乗り越えたので、私は漠然と
あと数か月は(気候も良いので)大丈夫だろう、と勝手に思い込んでいました。
それが数日前にボランティアさんがこの子が弱っているので保護した、とネット上で知り、その後、私はもしできれば病院へ連れていってほしい旨を
ボランティアさんに伝えました。そして病院で診てもらうことになったのですが、今考えると、野良で生きてきた猫が、末期の病状で人間の病院に行き
点滴や注射をされる、というのは、耐え難いストレスだったかもしれません。
治せるかもしれない、と思っていたからこその私の進言でしたが、結局、死期を早める結果にしかならなかったという現実にショックを受け、
迂闊な自分の進言を後悔しました。「命あるものに接するのは、難しい・・・」
※思い返せば、本気でこの子を救う気だったなら、ここまで悪化する前に、何度か手を差し伸べるチャンスはありました。
去年の12月半ば、足に脱毛が出始め、口臭が気になり始めた頃、食事をおえた後に私の膝の上にのってきました。
寒い冬でしたから、少しでも暖かい所がいいのかな、と思った程度でしたが、なにか救いを求めていたのかもしれません。
私は猫を飼える環境にないし、などと保護しない理由を頭の中に作り出して自分を納得させて、なにもしなかったのです。
それを死の間際になって小さく騒ぎ立てた自分の行為を後悔しています。
昨日は、野良に関わるのに迷いがでて「野良の観察を止めようか」と思ったりしました。
しかし、ネット上の情報だけでは、今一つ実感がわかず、また、迷いになにか決着が欲しくて今日、野良ポイントを訪れてみました。
もちろんいつも定位置にいてくれた茶トラの姿はありません。
それでも、他の猫達の多くは、いつも通りの様子でいてくれ、美人猫の毛繕いを手伝っているうちに
「君たちには、君たちの生活が変わらずあるんだね」 と、思い直し、もう少し通ってみようと思うようになりました。
病であってもそれをあまり表情に出さない猫達は、それとわかる状態になった時には、すでに手遅れのことが多く、
もし、猫を飼う立場になった時には、デリケートに彼らの健康状態を感じ取ってあげられることが必要だ、ということを
茶トラの命をもって教えられました。
末期の茶トラに愛情を注いでくれ、お世話をしてくださったボランティアさんに感謝するとともに、看板猫だった茶トラの冥福を祈っています。